1988-11-21 第113回国会 参議院 本会議 第10号
政府はシャウプ勧告以来の大改革であると強調しておりますが、シャウプ勧告は昭和二十四年という占領下でGHQの指示によって実施されたものであり、それまで複数レートであった為替も一ドル三百六十円と単一為替レートにさせられたのもこの年でした。要するに、シャウプ勧告以来ということは、その後今日まで、我が国の経済発展、社会の変化に対応して適切な税制改正を行ってこなかったと表明しているようなものであります。
政府はシャウプ勧告以来の大改革であると強調しておりますが、シャウプ勧告は昭和二十四年という占領下でGHQの指示によって実施されたものであり、それまで複数レートであった為替も一ドル三百六十円と単一為替レートにさせられたのもこの年でした。要するに、シャウプ勧告以来ということは、その後今日まで、我が国の経済発展、社会の変化に対応して適切な税制改正を行ってこなかったと表明しているようなものであります。
いま御指摘の問題のほかに、たとえば複数レートを導入したらどうかとか、あるいは為替変動保険を考えたらどうか、あるいは先物売買を行ったらどうか、といったようなこともあわせて検討はいたしておるわけでございますが、それぞれにつきましていろんな問題がございまして、なかなか現実のものとして実施するに至っていないというのが現状でございます。
自動車産業は御承知のように、戦後急速に伸びました産業でございまして、三百六十円レートが設定された当時、複数レートで五百円をこしておったような状況で、一体日本の産業の土壌に自動車産業が育つものかどうかということが危ぶまれたほどの産業だったわけでございます。
二十四年の四月、為替レートがしかれ、当時複数レートで四百二十円のものが三百六十円になりましたのですが、当時、綿紡績は三百二十円レートが三百六十円になりました。この年、私たちは、二五%以上の製糸労働者が、半年の間に首を切られて職場を去っておるわけです。それから二十二年に蚕糸振興五ヵ年計画ができて、五ヵ年の設備計画がほぼ一年半で設備完了を見ましたので、その後長く設備と原料とのアンバランスが続きました。
複数レートだ云々だといわれてきた形の中から、変わってきたわけですね。いま大臣がいみじくも言われる、新しい金本位という裏づけのないキーカレンシーみたいなものをつくろうという国際的な動きがある。
複数レート云々ということでありますが、十五円から三百六十円までの間がありますから、そういう困難だということはわかるけれども、しかし、いろいろと当たっておみえになるんだから、そこで日本は一体、もらったんだけれども、どうも輸入補給金に持っていかれたという疑いがあるんです。僕らそういうことを疑うわけです。
昭和二十四年のですから、当時においても単一為替レートはなかったけれども、輸出入についてはそういう二本建ての複数レートをたどったことは事実でしょう。そういうふうに書いてある。そこで、よくそれを例に出して、だから、輸出は比較的円高で輸入は円安で入れたのだから国民の利益になったのだという例をしばしばお使いになるわけです。
○成瀬幡治君 初めからやり直しなんですが、えらい恐縮なんですが、なぜその食い違いが出てきたかということについての、複数レートだとかいろんな問題をおっしゃいますが、私は、アメリカ軍も占領中であったといえども資料というものは絶えず持っておったと思うのです。
複数レートであったということは皆承知しているんです。そういうものが出せぬ。出せぬというのは、一体七億ドルあったのだということすら実はおかしくなる。何のためにどういうふうに金使ったか、でたらめな話になっちやう。ですから、そういう資料がほしいと。出ぬということなら、でたらめだったということになる。あなた方が弁明されることは私はわかるのですよ。
絶対権力者である米軍の手で複数レートで計算され、生産費以下で不当に安く輸出され、その金額は輸出入補給金で穴埋めをして、米国の業者を不当にもうけさせました。少なくとも昭和二十四年三月までには、かりに三百六十円レートに換算をいたしますと、約四千億の金が消えているのであります。援助資金は米国業者へ返済済みではございませんでしょうか。 第二点は、終戦処理費を負担してきました。
それは三百六十円レートに決定されたのが昭和二十四年ですから、それ以前のいわゆる為替レートのない時代ですね、複数レートを使っておったとき、その当時の昭和二十年から昭和二十四年まで日本が対外輸出をしたその価格というものは、これは非常に割安な値段で決定されておるわけなんです。それをやはり国際価格に換算し直して、この対米債務の金額の問題を決定する必要があると思うのです。
実はわがほうの複数レートは、なぜ陶磁器等については一ドル六百円、あるいは自転車等についてはお話のように五百何十円かの値段であったか。結局それらの生産費が、国内で非常に高くついたということでございます。綿糸布等については二百何十円、そういう価格でできるものが、そういう複数レートをとらざるを得なかったということは、それだけ国内の生産費というものは、物によって非常にアンバランスであった。
二十三年の終わりごろからプライス・コンピューティング・システムということで 複数レート式なものになったわけでございますけれども、その以前の大半の期間といりものは大津為替レートがなかったということになります。
○荒木正三郎君 やっぱり昭和二十四年度に出された「国の予算」、それの説明によると、もし為替レートが単一であって、二十四年四月ですかきめられた三百六十円というふうに単一レートとしてもし実施されておったら、どういうことになるかということを計算しているわけですが、それによると、貿易資金の二十三年度来における損益計算は、複数レートを使っておったために、輸出入の補給金の負担による損失は三千六百十九億円に達している
それから、当時いわゆる複数レートと言っておりましたけれども、陶磁器が六百円、絹物が四百七、八十円だったと思うんですが、そんなようなレートがあるというようなことで、その複数レートによる差損をやっぱり補てんしなければならない。まあこんなようなことがございましたのだと思います。
特に数字が十九億幾らと十七億幾らで違うのですから、こういう点は特に、複数レートというよりは、一つ一つの品目について、こういう違いがあるわけであります。ですから当然資料要求をなすったその上でやられることが私はしかるべきであったとこう思うわけであります。
大きな倉庫の中に入って、何十万冊だかあるのを一々全部調べたという、八億四千五百万ドルというのは一体どれだけの円になるのか、一つ一つの品目の円とドルとの関係が、複数レートにしろ全部きまっておるじゃないですか。だから幾らであったのか、こう聞いているんです。
昭和二十四年四月、見返り資金特別会計設置までの輸出入は、複数レートで操作せられておりまして、これは多くの人が指摘しておりますように、アメリカからの輸入は不当に高く計算され、日本の輸出品は不当に安く買い付けられ、それによってアメリカの資本は大きな利益をあげておる。これは動かすことのできない過去の事実であります。
そこで、総理大臣にお伺いいたしますが、「国の予算」により、また通産省の答弁によりますと、昭和三十三年度における為替レートは、これは複数レートでございますからなかなか困難でありますけれども、「国の予算」の説明によりますと、平均して輸入の場合は一ドルが百六十円、輸出の場合は三百四十円。輸入の場合はいわゆる円高、輸出の場合は円安ということになりますと、どういう結果になるでしょうか。
しかも、昭和二十四年四月、見返資金特別会計設置までの援助は複数レートで操作されておりまして、これは多くの人が指摘したところでございますけれども、アメリカからの輸入品は不当に高く計算され、日本の輸出品は不当に安く買いつけられまして、それによってアメリカの民間資本に不当な利益をあげさしておる。これも客観的な事実である。
それ以前のものはどうなっていたかと申しますと、今申し上げたような貿易資金あるいは貿易資金特別会計、そういうものに受け入れられまして、その当時、日本の貿易、為替の面では御承知のように、複数レートというものをとっておりまして、商品によって一ドルが三百円のものもあるし、七百円のものもあるし、いろいろな商品それ自身によってレートが変わっておったわけでございます。
先ほども外務大臣からお話がありましたように、物資の出入りははっきりしておるけれども、その当時の、複数レートとか、あるいは、通産省で伺いますれば、品物の品質等も不明瞭であるというふうな、資料の不足から、とうてい計算が不可能であるということを伺っておりますけれども、その点について、もう少し、国民のだれが聞いても、なるほどこの点はどうしてもわからないけれども、ここまではわかるのだという、納得のいく誠意あるお
○国務大臣(水田三喜男君) 見返り資金勘定以前は、さっき外務大臣が言われましたように、複数レートでございましたので、これは複雑になっておりますが、見返り資金勘定が設定されましてからは、二十四、五年が三百三十円の換算率、それ以後は全部一ドル三百六十円の換算率でやっておりますので、二十四年以後はもう明確になっております。
あるいはまた当時の会計そのものにいたしましても、複数レートでございますから、いろいろむずかしい算定があるわけであります。あるいはまた御承知のように、運賃等につきましても、当時の運賃レートもずいぶん変わっております。それを納得のいくといいますか、そういう意味で適正なものにして、そうして集計した数字でございます。
そうして、向こうから入っているものはそのままのドルでございますけれども、こちらから出ました輸出は、先ほど総理が御指摘になりましたように、陶磁器なら六百円だとか、綿糸なら二百六、七十円だとか、それから生糸が四百二十円、こういうふうな複数レートでございますので、これはなかなか計算がややこしくなっております。
今、安定帯物資の補助金とか、それから為替の複数レートのときの補助金ですか、わかるのですけれどもね、それは。だけれども、何か計数的にわからぬものなのでしょうかね。これは責める意味じゃないのですけれども、経理をやはり明らかにしておく、そういう意味で、わかるものだったらわかりたいと思うのですが、どうなのですか。むずかしいですか、これは。
しかし、先ほど総理がお答えいたしましたように、当時は複数レートでございますので、その計算はたいへんむずかしくなっております。そういう事情でございます。